古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

リアルに歩くこととネット・文献で得られることの差異(1) 

 はやり病のこともあって、在宅勤務の度合いが多くなり、現地踏査ではなくネット・文献調査や問い合わせ調査が著しく増えている。

 それは簡易・簡便で経済合理性に富む。しかし得られる効果は一面的で当初の目的・企画を超えることはほとんどない。

 しかし実際に体を張っての行為だとその時は企図しなかったことでも後から、あれは

そうだったのかと気付くことが出てくるから不思議だ。

昔々、FM放送の番組をカセットテープに録音し、後で聞くというのが流行ったけど、今や全放送局の全番組を自動的にデジタル録音しておいて後から探して聞くことができる。これに近いような。

 いや、違う。

 

 去年少々歩いてそう感じることがあった。

 

3月28日朝、桜田門から歩き始め、建設中の虎ノ門超高層ビルの前を過ぎたあたりでちょっと変な雰囲気のシーンに遭遇した。(武蔵の国⓴)

これだ。

 

 

 

 

 

 

黒っぽい服を着た人の集団。

立ち止まり、変な動き。

撮影班だった。

しかし、数人ではなく10数人とかなりの人数。

テレビか映画か? 一切表示がなく不明。

その間を抜けるように歩いたが、どうも気になって少し戻った。

ふと道端を見ると1台の黒っぽいワンボックスカーが停まり、開いた後部ドアから男性が座ったまま身を外に向けている。

そして女性が男性の顔に何やらの作業をしている。

メイクさん?

男性の顔をまじまじと拝見した。まさかカメラを向けるわけにもいかないし。

 

異様な雰囲気というか、そんな顔立ちの人だった。

私、テレビとか映画、特にドラマ類はほとんど見ないので俳優の顔も名前もほとんど知らない。

しかし、その方の顔立ちは特異だった。

頭髪,ひげに白いものがみえる年配者だった。しかし、年配者に見られるあごや頬のたるみは全くない整いすぎるほどの顔立ち。

姿も長身痩躯というのか優れていた。

主役級なんだろうが、なんという俳優なんだろう。気になって仕方がなかった。

時間ももったいなく、じろじろ見ているわけにもいかないのですぐに立ち去ったが。

 

後日テレビのニュースを見て、え?

あの朝撮影現場で拝見した俳優さんそっくり。いや、年齢、あまりない顔立ちからしてその人自身ではないのか。そう思えてならない。

渡辺裕之さん66歳。奥さんは原日出子さんという方。

 

そういえばどこかうつうつとしたものを漂わせていた。

 

今になって道路際に鳥居の見える変な場所が気になり調べると。

虎ノ門金刀比羅宮だった。

 

参考(引用)

Teruya Koga

万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座致しました。 当時は“金毘羅大権現”と称されていましたが、明治二年(1869年)、神仏分離神祇官の沙汰により事比羅神社に、明治二十二年(1889年)には金刀比羅宮に社号を改称し現在に至っています。 ご神徳は海上守護、大漁満足は勿論のこと、五穀豊穣・殖産興業・招福除災の神として広く庶民に尊信され、東国名社の一つとして知られています