古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代道路の道幅

 木下 良氏は日本古代道路辞典序1の(1)「誤解されていた古代道路」で次のように述べる。

 1970年代に日本でも古代道路が直線的路線をとって計画的に敷設された大道であったことが指摘されるようになるまでは、日本の古代道路は自然発生の踏み分け道を幾分拡幅整備した程度の、道幅もせいぜい1~2mの屈折した小径であったと考えられていた。

 氏は、江戸時代の幹線道路である5街道でも歩行者の通行を主体として道幅も二間程度の屈折の多い道路であったことを前提にして近世の道路から見て千年以上前の道路だからという想定を批判し、古代の都城や条里制も根拠に挙げている。

 

 確かにそうかもしれない。しかし何が何でも広く直線的でなければ官道ではないとするのもいかがなものかと思う。

 地形的、物理的に狭く、屈折せざるを得ないところもあろう。

 ローカルな伝路を格上げしたものでもともと狭く、それを後に拡幅する人的、財政的ゆとりもなかったということもあるだろう。

 何より千年経った2021年現在でもこれが国道か、という酷道ぶりがニュースやユーチューブで取り上げられることが少なくない。

都の近くではいざ知らず、遠い僻地の山あいの中で広く直線的な道など期待可能性は低いのがむしろ素直な解釈ではなかろうか。

下手をすると戦後昭和に入ってあちこちにできたバイパス道路が広くまっすぐだからと誤解を受けかねない。