山路直充氏は国府を考えるにあたって国庁、国衙、国府域に分類する提言をされている。(房総の考古学p165)
国庁は国司が政事を行う政庁を区画した空間
国衙は国庁とその周辺に曹司が展開した空間
国府域は国衙とその周辺に広がった国府関連の施設,市、寺、場合によっては所在郡の郡家と関連施設,駅屋などが展開した空間として関連する人々の集住を含めている。
わかりやすく、なるほどと思える。国府域になれば、道路の視点も入ってくる。
上総の国府域には国分寺・国分尼寺は当然に入り,氏はいまたちの候補地五井も含めている。
さて、村上駅から国分寺に向かうことにして驚いたのが近くない台地まで道がまっすぐなことそして条里制というのかあたりがきちんと整理されていることだ。国衙候補地になることもうなづける。
その名も怪しい国府橋がかかる浅い小川はきれいではないがそんなには汚くなかった。
右に曲がって県道140号を進むと上下神社諏訪神社に達するがそこら辺一帯は諏方台古墳群として知られているところ。今回はいかなかったが市原市広報誌4月号は紹介している。
少し傾斜の始まっている突き当りのこんもりした丘は戸隠神社。その右を進むと雷電池に至るがそこは後回しして左の坂道を上る。
左に回って坂を上り始めるとすぐに簡素な鳥居が見える。戸隠神社だ。
覗いてみる。
高台で見晴らしもよい一等地だ。富士山信仰もある模様。
裏から入ってしまったようだ。ここら辺はすべて富士山の見える西が正面の感じ。
遠くに高速(館山道)。その先は東京湾の方角。
戻って坂を上る。道路突き当りの交差点正面に見える空き地はすでに旧国分寺跡。
門前も周りもよく整備されており、高台の立地もあって気持ちが良い。
弘法大師像や、南無大師遍照金剛の文字を見ると四国遍路を思い出してしまう。ただし、太子堂は見られなかったが。
現国分寺は真言宗豊山派となっている。ここら辺は豊山派が多いようだ。四国88か所でもそれなりにあった。
茅葺の薬師堂は仏教建築としてトップクラスの美しさを感じる。
坂を下りて大池に