古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

上総の国④ 国分寺台町の風景と国分尼寺V2

 


市原市役所の両脇に国分寺国分尼寺がある。

国分尼寺は長いこと遺跡状態であったが近年わが国で最高レベルの復元がなされ、注目されている。

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市役所と消防署が並んでいる前を通る。(この風景、四国で見たことがある。)

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町並みは整然。道路は広い。国分寺台というところは高台の平坦地で住宅地としては理想的。(都心には遠いが)

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四国遍路の時もそうだったが古い道を歩きながらも現在所管する県や市の財政力や意識による古いものへの取り扱いの差異を目の当たりにすることがある。

市原市はその高さに圧倒される。

ここで昔の郡名も見て見よう。

上総の国の最北が市原郡。下総の国の南端が千葉郡となる。

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赤い印は国分寺以前からあった寺や国衙。菅原ファミリーも当然、光善寺、菊間、千葉寺を耳にし、その付近を通ったことと思う。

 

まもなく上総国分尼寺跡地に到着。少し離れて駐車場もある。

手前の展示施設の立派なこと。

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入館者は私一人。

親切な職員が私一人のために映画を上映し、説明してくれた。

このあたり、法隆寺そばの藤ノ木古墳を見学した際、夕刻に立ち寄った斑鳩文化財センターの女性職員が一人しかいない自分にビデオを上映してくれたのと同じ。

ありがたいことです。

 

さて、国分尼寺

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よくぞ建ててくれた。

全国の国分寺国分尼寺旧跡を紹介する本で絶賛していたがそう思わずにはいかない。

 

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おざなりでない広さとグレードだ。

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特にこれがフオーカスポイントとなっている。

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細かいところにも最新の配慮

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平城宮跡に負けていない。

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(続く)