古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

上総の国⑫の4 あたりの雰囲気と菊間天神山古墳 

 北野天神山古墳と菊間天神山古墳があり、紛らわしい。

後者について周りを探したが見当たらない。 その過程でさまよい、地域の雰囲気もつかめたが。

普通の農家らしい農家もあることはあったが多くはない。

豪農、お金持ち、普通の市民の家がポツポツという感じ。

 大型太陽光発電基地が目立ち始め、それを憂うる人もいるようだがパネル架台は基礎が浅くいつでも現状復帰が可能。むしろ、立て混んだ狭小建売住宅の方が問題に思う。

 とにかく千数百年以上の歴史を持つゾーンなので道が狭く、ところどころタイムスリップして過去に引きずり込まれるような印象を持つ個所もある。

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 これって、四国遍路でも同じ思いをしたことがある。女性はもちろん、男性でも一人歩きだと怖いと思う道の入り口がなんか所かあった。

 

 

菊間天神山古墳がわかりにくいのはいったん台地を下がり間に広めの道があるからだった。地図をしっかり見ながら歩けばいいのだけど。

探索するときは歩くに限る。妥協しても二輪車限定。自動車は向かない。

 

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排水処理場という古代のロマンにふさわしくない施設を見下ろす形で存在している。

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夕刻近かったが、たまたま道幅あるところを見つけて実踏等へ。

 

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周囲には縄文後期から平安末期にかけての遺跡が多いとのこと。1500年どころではない。

平安京中流貴族など新参者だったわけだ。

長い間にわたって土地の人が歩いた道は官道が規定される前からあったわけで

獣道を超えるレベルであったはず。

この立て看板の脇から登ってみる。暗く急峻でちょっとしたミニ軽登山。

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鳥居があった。こちらが本来の入り口か?

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降りてみたが私有地っぽいので引き返した。

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西側(館山道)側から入ろうとしても案内表示がなく極めて分かりにくい。

目印をお教えするとしたら宣伝看板があるここぐらい。

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狭いどぶ化した水路脇に石柱があった。

市原村と古市場の地名が読めるが明治以降の新しいものと思う。

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石に刻めば永年持つと思う人が多いようだが、想像以上に劣化は進み、文字の判読不明は早い。四国でも遍路関係の古い石柱はほとんどが判読不明だった。

しかるべきところに紙文書を保存したほうが永らえる。あるいは土を盛るなど,形態で意思を表すなど。