古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道・更級日記の道 下総の国⑫ 狐塚古墳v2

 

既出の下記報告書(*)の3ページ「序章 遺跡の概観」第1節に短いがきわめて印象深い一節があった。

「 古墳の分布をみると海岸平野に面した台地の縁辺は、早くから開発されたため分布は極めて希薄であるが、千葉寺地区遺跡群の2.5㎞南にはかって狐塚古墳という全長50mの前方後円墳が存在した。

 狐塚古墳は測量図もないまま湮滅したが、前方部の低い前期型の墳形であったという。

また、都川に臨む台地の北縁には千葉大学亥鼻地区構内遺跡の古墳群がある。」

 

 *都市基盤整備公団と財団法人千葉県文化財センターによる平成16年3月付報告書

 

そして4ページの地図には「18狐塚古墳」の場所が記されているが、なんと前に雰囲気が怪しいと書いた県立生実学校キャンパス付近ではないか!

 

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ところが、狐塚古墳についての報告書(以下昭和40年報告と述べる。)があり、それを閲覧できることになった。

 

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しかし、昭和40年報告の内容は以下のとおりで上記平成16年報告の内容と合わない。

 

・もとは台地の突出部分であったものが明治29年房総鉄道会社(現JR外房線)が蘇我~大網間の鉄道敷設工事のために切断し、独立丘となったもの。

・狐塚の南方約220mの箇所にテント塚(県立生実学校校庭)と称する小円墳があるが先年封土の3/4が削平された。

・まもなく古墳を含む丘陵全体が採掘によって全く平坦地と化し、住宅用地にされる予定

 ・全景写真のほか測量図も付記されている。

 

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平成16年報告記載箇所は、鉄道で分断されていない、削平されずに台地のまま、何より生実学校北220mという記載に合わない。

両報告の内容は合わないが、この場合、当然実際に緊急調査し写真や図面にとっている武田氏の記載を受け入れるべきだろう。

 

ここで、私が気が付いたのが次の点である。

2021年現在の一般的な地図に狐塚公園という小公園が載っている。

台地上の2校よりだいぶ北に位置するが何らかの関係、因縁があるのではなかろうか。 

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そう思っていた矢先、図書館でたまたま古い地図を見ると、その狐塚公園あたりに等高線が入っている独立した墳丘が目についた。

 

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武田氏はこれを生で見て写真に撮り、図面にも書いたのであろう。 

 

 

昭和40年報告で武田氏が述べる次の記述に符合する。すなわち

国鉄蘇我駅から東南に走る房総東線が海岸平野を抜けて最初に洪積層台地を横切る。

国土地理院発行1/25000蘇我によれば、標高20mの等高線を回らす。

 

現地を見に行った。

完全に平地化され、住宅が並んでいる中に市街地でよく見る小公園があった。

              

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元の台地を分断する鉄道のほかに高速道路(奥に見えている)も通るようになっている。

 

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分断される前、台地の一部であったことは線路北側に見えるマンションの立地(高台)や同じく線路北側に残る緑地(遠くに淑徳大学が見える)でかろうじておしはかることができる。

            

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狐塚公園と命名したのも狐が出ると言われてきた古墳を削平したことへの鎮魂のための配慮であろう。

昔何かのアニメでビル屋上にあった狐の祠を取り壊して祟りを受けるというものがあった。狐が出るという伝承があった古代人のお墓を経済的利益追求のために削平したのだからアニメと似ている。