古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 下総国⓴v2 千葉公園から花見川へ

 

この信号の先に見える本敬寺常光閣というあまり寺らしからぬ雰囲気の先が作草部駅前信号だ。

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房総往還ルートをやや斜めに外れて進む。写真では直進。

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ここら辺から学校キャンパス街となる。

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下の写真左ビル後ろに県立千葉東高、右に千葉経済高

直近の話になるが、先日61歳の若さで亡くなったキリンの社長さんは県立千葉東高→早大出身とのこと。記事で読んだまだご存命の父親の話に感銘。ご冥福を祈る。

 

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突き当りは千葉経済大・短大

 

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左折すると千葉神社の隣にあって空襲で焼かれ、移転してきた大日寺があった。

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なかなか個性があるデザインで好感を抱く。

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少しお邪魔をした。千葉氏累代の墓碑

移転後とはいえ、ずっしりとした歴史の重みを感じる。

 

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門の前をまっすぐ進むと大学通りという広い道に出る。

大学とはもちろん千葉大学。なぜか一部は東大工学部となっている。

県庁に近い亥鼻町は医学部、薬学部、病院など医療系キャンパスとなっており、こちら西千葉駅前は教育、文、法経、工、理学部、付属中高がある。

相当に広い。

大学数の少ない地域における国立大学のステイタスを感じる。千葉市近辺の開業医、中小病院は千葉大学医学部出身者が多く他大学出身者は肩身が狭いもよう。

 

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やっと千葉大学キャンパスの北端に出た。

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この信号右側手前は敬愛大学のキャンパスとなる。

左折すれば総武本線千葉街道京葉線にクロスするがそうしないで直進する。

なお、このあたりの地番は千葉市稲毛区黒砂台3丁目。

 

放射線医学総合研究所という大きな敷地を持つ組織が右手にある。

重粒子治療センターがあり、日本でも少ない高度の放射線治療がなされる。

ちょっと前になるが東海村原発で痛ましい事故にあった作業員氏はここに運ばれたのではなかったか。

入り口の表示を見ると種々組織が入っている。改編もあったのか。

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進むと、イオンがあり、JR稲毛駅東側となる。

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左折すればJRと京成の稲毛駅を越え、浅間神社の脇を通って千葉街道(国道14号・357号)に出る。

面倒なことを考えずにただ道なりに東京へ出たいならそうなる。

 

そうはせず、JRに並行する形で小仲台坂道を進み高速東関東自動車道にぶつかる。

(小仲台8丁目信号)

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しかし、超えた先の道が混とんとし、はっきりしない。

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無理もない。鉄道、高速道路、一般道路の敷設で古い地形などずたずた。

こういう場合、というか地域は本来は望ましくないがA地点、 B地点を結んだラインを想定するのもやむを得ないと考える。

適当にさまよって総武線に沿う形で小中台町から花園町に入り花園5丁目に至る。

(わかりにくいのは使用する漢字もそう。小中台町というとき「中」は人偏なしだが小仲台8とかいうときは人偏がついている。

道路の真ん中が桜並木となっている幅広い道に出た。

考えられない雰囲気の良さ。

鉄道跡、小川・下水を埋め立てたり覆った場合に見られるがそんな理由はなさそうだし、なんでだろうと不可思議。

 

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花園中学校前の交差点。学校の北側(写真奥)は小学校、東大の諸施設が続き、周囲には相当数の遺跡が出現しているがこれについては後述。

 

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桜の道を進み、このあたりの地形が一目瞭然の箇所に出た。

 

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降りて擁壁を見るとずいぶんと高台であることがわかる。

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縄文、弥生、古墳、奈良と昔の人は海や川に近い高台・平坦・日当たりの良い土地が大

好き。

現代人の価値観と全く同じだが現代の庶民はなかなか住めない。

かなりの傾斜の坂を下るとすぐに花見川に出る。

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橋の南側にはJR総武線が走る。

昔は当然海だっただろう。

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*正直、これはという道路の痕跡が見つけられないので中央区椿森から花見川区のここら辺を結ぶ線で考えてきた。より海に近い南側、現鉄道に近かったのかもしれない。

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