古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 下総国⓳ 経路途中だが近・現代のことも考えたくなる(千葉公園)

更級日記の道なのだから古代当時のことだけを考えればよいのかもしれない。

 しかし、ここ千葉公園JR西千葉駅の東側や先の話になるが市川市国府台あたりについ

ては明治以降、近代・現代のことを考えたくなる。

 

千葉公園国府台も明治期から日本陸軍の大基地となりそれが終戦敗戦でなくなるわけであるが、そもそも江戸期幕藩体制の下での土地管理・利用体制が明治維新でどのようにして日本軍の土地になり、終戦後どのようにして現代の管理・利用体制になったのか興味深い。

 

 

明治維新、太平洋戦争という大きな社会変動で当該土地の利用が変わってくる理由は大和政権の誕生、律令制の確立、そしてその弛緩という社会変動発生時にも当然に生じているはずで、それを考える際のヒントになるのではないか。

 

両地域とも現在、多くのスペースは公園と学校になっている。

軍の司令組織はなくなったが病院は名前を変えて国立病院として残っている。

 

上総・下総国で宗教組織、国分寺跡は割とはっきりしていたがこれに比べて国庁跡は

はっきりしない。下総は近年明確になりつつあるが。

 

さて、千葉公園に戻るが、次の鉄道第一連隊演習用橋脚前にある説明文がわかりやすい。

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陸軍施設の総面積は462ヘクタールというからけた外れの広さだ。

 

地図だと次のとおり

 

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