古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 下総国㉑ 花見川流域と愛宕山古墳

花見川西側に見える丘がどこか怪しく思える。

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そばに行ってみた。

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なんでここの一角だけ、ぽっかり空き地になっているのだろう。

何らかの理由で公有地にして将来の調査に備えているのだろうか。

通りすがりの女性に聞いてみたが「知らない」とのこと。そりゃそうだろう。

後日、調べた。

ある遺跡調査報告書に参考としてごく手短に愛宕山古墳なる言葉が出ていた。

 

ネットで何か情報がないかと検索してみるとちらほら出てくる。年配の地域探訪グルー

プのものだ。近くに猿田神社と愛宕神社という神社があり、その一つ愛宕神社愛宕山

古墳上に立地するというものだ。

愛宕神社は普通の地図には載っておらず、住宅地図にかろうじて小さく載っていた。

グーグルだと次のようになる。

 

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しかし、再度調べると県の遺跡資料にはないが千葉市の資料にはあった。以下引用する。

 

4-13表 千葉市内の古墳及び古墳群地名表

 

 №5 遺跡名 愛宕山古墳

    所在地 幕張町6丁目字速塚 (猿田神社南方100m)

    立地・標高  砂丘上 6m

    形態  方墳

    所属時期 後期

    主体部  載石石室

    主要遺物 直刀、鉄鏃、金環

    備考   昭和48 市教委確認

愛宕神社は猿田神社の北方100mくらいであり、致命的に思われる。しかし南方100mが川西側に見た丘か不明だ。標高6m以上はありそうだし,住居表示も異なるようだし。

 もう一度行って見ないと。

(続く)