後鳥羽院 (遠島御百首)
冬ごもる 寂しさ思ふ朝な朝な爪木(つまぎ)の道を埋(うず)む白雪
長谷川氏は次のように解説する
和歌は花鳥風月を友とすると思われているが
当人の心のうち、変転をつぶさに映し出す。
帰京かなわず十八回もの冬を隠岐で迎え、数え年60歳で逝去。
爪木の道とは薪を採り、運ぶ道のこと
菅原孝標女は後鳥羽院のような波乱万丈さはなくも晩年の寂しさは似た心境ではない
か。
逝去年は不明であるが多分そんなに変わらないと思う。
更級日記を今に伝えてくれた藤原定家であるが後鳥羽院との因縁を考えても感慨深い。
なお冒頭の文言、「冬ごもり」とする人もいるようだ。