古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 下総国㉗ 船橋市海神「飛の台遺跡」② 、オトタチバナヒメ伝承と文京区妻恋神社

 


先週土曜日のブラタモリは渋谷の古代遺跡について特集していた。

いくら地元とはいえ、NHKの「渋谷」への偏愛は過剰ではないかと思われるが、今回はこれまでの「地学」重視から古代「考古学」への関心もうかがえたのでまあ、好感を持って拝視聴した。

 タモリの「昔から人は水害に強く、それでいて水場に近い台地の周辺を求めるもんだね。しかし庶民はその現況地といえる超高級邸宅地渋谷区松濤には住めない」と誰かと同じようなことを話していた。

さて、

 

飛の台遺跡について補充

戸外にあった説明書きが要領よくまとまっていた。

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発掘発見とバイタリティー

この遺跡の発掘に多大の貢献をしたのが杉原氏。もとは商業を営んでいて大学も出ていないが切磋琢磨して名を成した人とのこと。後に明治大学教授。植物学の牧野氏のような印象を受ける。

当方何の利害関係もないがこの分野で東日本、特に千葉県での明大出身者の活躍が目立っている。

東大は初期こそ大森貝塚についてのお雇い学者の関連で活躍していたようだが、このところ、素人サイドには其の尊名はうかがえない。

ちょうど昨今のコロナ禍について活躍/尽力しているのが非東大医学部系の学者・病院に多く、偏差値的志向とは無縁な感じがするのと似ている。

ことを成すには青色LEDの徳島大中村氏のような雑草的バイタリティーが必要なのだろう。

 

合葬された男女がこちら。痛みが激しいらしく、レプリカが陳列されていた。

骨を見てロマンを感じるなんて本来はあり得ないと思うが。

あ、ローランの美少女ミイラがあった。

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ところで船橋の地名のいわれや「海神」に関して古い伝承が言及されているが、最近たまたまこれに関するものを目にすることがあったので紹介させていただこう。

1 日経新聞文化欄「オトタチバナヒメ いずこへ」という記事(弘前学院大入江教授

   2021.10.13)。

ヤマトタケルの東征譚は古代の交通事情を反映しており、走水の海(横須賀市沖)は相模と上総を結ぶ重要な海路でもある。大和朝廷の要衝かつ難所であることから物語の舞台に選ばれたのだと考えられる。」とある。

 

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2 東京都文京区 妻恋神社

まだ先のことになるが、武蔵の国のルート探索で豊島駅の推定地谷中墓地から皇居を目指して歩いているとき、湯島神社の先、清水坂を歩いていると、まったく予期していなかった妻恋神社に遭遇した。

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 書かれていることはまさに日本武尊オトタチバナヒメ伝承であった。

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こんなところまで、と思ったが船橋お茶の水はそんなに遠くはない。入江教授のリストに入っていることだろう。

 オトタチバナヒメが「身を海に投げて海神を鎮め、一行を救ったことから妃を船魂神(海神)として当神社に祀ったという」とある。

 

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