古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 下総国㉝ 市川の邸宅街

芦屋、田園調布、南平台以外にも、それこそ日本中どんな地域にも他と違う上質雰囲気の漂う町並みがある。

そういわれるところの特徴は少数数軒だけが際立って豪邸というのではなく町並み全体が落ち着いた上質な雰囲気をもっている点だ。

ポットでのよそ者あんちゃん記者が書く、住んでみたい街ランキング的記事では到底フォローできるものではない。

逆にだからこそ目利き白洲正子的な京、奈良以外にもこんなに魅力あふれる隠里がありますわよという視点に価値が見いだされるのかも。

 

東京の3倍はあろう広い千葉県にも私が見る限り1か所、更科日記一行の通り道であっただろう市川砂州上にある。

 

町名で言うと真間、菅野、平田、八幡あたりだ。

真間川の北側や永井荷風が好んだ八幡の町並みだけではない。あまり取り上げられていないので紹介を。

 

真間

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菅野

 

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八幡

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一般論でいえば国分寺がある国分町は歴史が古い歴史的風土地区でよいところに思われるだろう。

しかし昔、各国の中心であって栄えた地域でも千数百年たつと事情は違ってくるようで昭和の時代、真間、菅野、八幡に住んでいる人から見るとその北方地域は遅れた農村地域にしか見えなかったようだ。

市立菅野小学校(菅野6丁目)出身の友人はこう言う。校舎西側にバス通りがあった。

その道に入ってすぐ先に橋がある。名前は古代を思わせる「府中橋」。

府中橋あたりから様相はがらりと変わり、水田だらけの農村地帯。

(須和田町その北は国分町)

住む人は世界が異なりお友達にはなれない感じがしたと。

 

超売れっ子だった井上ひさしさだまさしも居住地は確か北の国分あたり。九州出身

でありながら熱烈市川愛好家の詩人宗左近も14号線より南住まいでそのことで井上ひさ

しに半ば冗談にコンプレックスあるを話している。

旧市川砂州上の土地にはまとまった広さの物件が出ないということもあるのだろう。