古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

更級日記の道 下総国(江戸川から隅田川)③ 上小岩遺跡通り出発、新中川まで

対岸江戸川区側に戻って、里見公園脇の道を眺める。

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川のそばまで行ってみよう。

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コンクリート護岸でないとは思わなかった。

水は思いのほかきれい。東京都、千葉県で水道水に使っているのだから当然かもしれないが。

対岸の風景の広がり、みどり、水量とも十分で千葉、東東京でぴか一だろう。

葛飾区、江戸川区松戸市市川市にとって母なる川

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堤防に戻って左下を振り返るとお寺らしき屋根が。もしかして?

地図のとおり江戸川をはさんで里見公園や市川一中と直線で結んだところにあるお寺だった。 真言宗 真光院 

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屋根の上右側にスカイツリーと富士山が見えた。堤の高さくらいで富士山が見えるとは。古代人は毎日目にしていたわけだ。

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堤防下の道沿いに少し歩き、1mくらいの路地を回るとお寺の正面に出る。

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正面入り口わきに西に進む道があった。

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脇には上小岩遺跡通りの標柱。どんぴしゃり。

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 これから西へ西と歩いて行く。隅田川までは無理として荒川手前の四つ木までは今日中にたどり着きたい。

まとまった距離を歩くのは四国遍路以来久しぶりだ。9年ぶりで体の訓練はしていないが、荷物は小型デジカメ2台、スマホ、紙地図くらいで3キロくらいと軽いので何とかなってくれようと期待。

 

 

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道は思いのほか広く、町並みは整然としており、小岩―場末の町ーというイメージは覆された。

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付近で上小岩遺跡の発見された上小岩小学校に寄ってみた。

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なかなかのお屋敷もある。

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こちらは洒落たデザインのお寺入り口

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このルート、踏切が多い(京成小岩駅)。いかにもローカル私鉄沿線。

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柴又街道にクロスする。右折すれば寅さんの葛飾区柴又へ

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国学園というインパクトのある名称は10代のころから知っていたが初めて目にすることになった。

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江戸川区から葛飾区に変わり、町名に鎌倉という文字が入る。葛飾区鎌倉1丁目

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細田公園

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バス停の名称はローカルな地名がわかって面白い。
葛飾という地名同様京成バス・電車は千葉、東京にまたがって営業している。

 

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三和橋手前にまたもや踏切。貨物線らしい。知らなかった。

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新中川だ。江戸川から二つめの川となる。架かる橋は新しくきれい。

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