江戸時代の旧東海道と異なり、古道のルート探索の裏付けとなる資料は極めて乏しく、すぐに呆然自失状態に陥ります。
そんな中ある程度合理的なものとして推測、依拠できそうなものが地形です。昔海(川)だった、大雨で出水しやすそう、がけ崩れが起きそう、歩くには急峻すぎる、高低差があって荷物を持っての進行には辛そう、目的地まで不要な遠回りとなる、飲み水の確保が難しいといったルートは誰でも避けるのではないでしょうか。
これに人間の歴史性を加味したものとして律令制以前の人々の営み、すなわち弥生末期から古墳時代の人々の生活歴が参考になるのではと考えるに至りました。最もわかりやすいのが古墳です。古墳時代とそのあとで人の生活に極端な断絶があったとは考えられません。古墳のそば、あるいはそこに至る道があったはずです。使える道は使ったはずです。
そんな折、目にしたのが「神奈川における駅路に関する一考察」という論文です。小方武雄氏は次のように述べます。
「7世紀後半~11世紀初頭にかけて,律令体制の整備に伴い駅伝制が行われ,駅路が全国展開することとなる。~ 具体的に何処を通っていたかについては従来様々な説がある。今回はそれらの視点に加え,古墳や地域の豪族,「延喜式」に掲載された式内社,直線道路のさらなる活用などの視点を加えて検討を行った~」
そして「古墳の存在する地域、作られた時期などは駅路が始まったであろう7世紀後半とは何の関係もないという考えもあるが、7世紀前半の620年には国造が存在していることだし、それ以前から豪族と都との連絡はあっただろう」とも述べます。援軍を頂いた感じです。
こんなこともあって、(単なる興味もありますが)周囲の古墳も見ていくことになりました。