古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 武蔵国② 隅田川のほとりで考える最近のこと

 

 市原市界隈から始めてここ隅田川ほとりについての考えをアップするまでの短い期間であるが、結構考えさせてくれる事柄が生じている。—決して芳しくないものではなく、むしろ逆であるが—。

1はNHK大河ドラマで今日2022年1月9日から始まる「鎌倉殿何とか」関連だ。

 頼朝が敗軍の将となって少数の侍とともに船で静岡から房州安房国に逃亡してそこから再起し、上総、下総と軍を進める行程って武蔵の国が東海道ではなく山あい国域であった東山道に属していた時代(771年宝亀2年の前)の東海道と近い。

 ま、東海道で海を渡る起点は三浦半島だったけど。

 いざとなった時の基本志向はヤマトタケル伝承時代と変わらないようだ。

 

神奈川県の土木技術者が論文で書いているように何百年か前になるが古墳時代の遺跡は少なくも平安前期の交通事情を考える際に参考となることは十分な合理性があると思う。

頼朝らの行程はのちの時代ということで時間的には逆になるが孝標一行の上洛時期からわずか百数十年後。百数十年前の交通事情を推し量るのに有効な材料とならないわけがなかろう。

 

更級日記のような夢見る文学少女の日記と異なり、国の最高権力者となったものについての論考は極めて多い。

ネットでも要領よくまとめて記事にしてくれている記事が多い。その一つを称賛しつつ紹介させていただこう。

DownToTokyoのブログ

https://ameblo.jp/masaoshibata/entry-12387833641.html

以下引用

頼朝の挙兵

伊豆に流刑になっていた源頼朝は、皇位継承問題で危機に立っていた後白河天皇の第3皇子以仁王(のちに皇籍剥奪され源以光)の出した平氏追討の令旨に呼応して挙兵。

しかし、石橋山の戦いで破れ、静岡県真鶴から千葉県の安房まで海を超えて落ちのび、房総半島の武士の助力を得ながら下総国まで進軍してくる。

しかし、その進軍を隅田川に阻まれ、武蔵国に入る前に足止めされてしまう。

この時、武蔵国を地盤とする平氏の子孫 江戸重長に、頼朝は平氏方を離れ自軍へ参加することを要請。

江戸氏と共に、同族の千葉氏・葛西氏が共に船を集めて、浮き橋を掛け隅田川を渡るというエビソードがある。

この橋を掛けた場所が浅草の北方、現在の台東区橋場(旧名石浜)だというのだ。

 

文中には当ブログで述べてきた、下総国府、四つ木の葛西清重などの名称が出てくる。

 

2は現代の交通に関することであるが前日の新聞。

                      

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当ブログでは下総国(江戸川から隅田川)③でその踏切付近について写真を載せているが、その路線についてのものだった。LRT(次世代型路面電車)の検討など、まさに現代交通政策のお話だ。

 

読売新聞 2022/01/08 電子版一部引用

 東京都葛飾区は、区内を南北に走るJR貨物線の旅客路線化事業に着手する。近隣には映画「男はつらいよ」の舞台となった柴又帝釈天もあり、観光振興や街づくりの起爆剤とする構想だ。区は2030年頃に一部区間の開業を目指しており、高齢者や障害者が利用しやすい低床の「LRT(次世代型路面電車)」型車両の採用も検討する。

 

 葛飾区の青木克徳区長は「排ガス削減など『脱炭素化』の潮流の中で公共交通機関の重要性は高まっている。早期開業を実現したい」と語った。区は近く、JR東日本国土交通省、都などと検討会を発足させて調整を本格化させる。JR東も「区の検討に協力していきたい」としている。

 

 旅客化の対象は、JR総武線新小岩駅付近と常磐線金町駅を通る単線の「新金(しんきん)貨物線」(約7キロ)。東京と千葉をつなぐ輸送網として大正期に整備されたが、貨物輸送の多様化に伴って運行本数は減っている。

 

2000年前も1000年前も、そして今日も森じゃなかった「道は生きている」。