多摩川を渡って神奈川県に入っても律令制下における相模国になるわけではない。
相模国は現在の神奈川県西半分。現川崎市と横浜市の大半は南武蔵の南縁部に相当する。
つまり武蔵と相模の境界は横浜市西半分を南北に縦断し、関東山地から三浦半島へ続く多摩丘陵により区分される(後掲 西川修一)。
西川氏はこの高燥な丘陵地系は弥生から古墳時代の遺跡の空白地域を形成しており、相模湾岸的領域と坂東の内海(うちつうみ)としての東京湾的領域との「大きな結界」をなしているとする。
「武蔵と相模の古墳」という本を手にした(2007年季刊考古学別冊15)。広瀬和雄・池上悟が編者となっている読みやすいいい本だと思う。
東京から神奈川に向かう者に参考となる。
広瀬氏(国立歴)の序文「古代東国史の見直し」は深く、二度、三度と読み返したくなる文章だ。本筋に関係ないが「自治体を単位とした研究サークルや情報共有のための研究集会などが各地で頻繁に開催され、今に続く自治体考古学の隆盛を招く。」との一説、特に「自治体考古学」との言葉は興味深い。
現にこの執筆者に東京都、埼玉県、区市教育委員会、県立高校教諭による論文が見受けられ、当然のなりゆきかもと思う。
それにしても武蔵国はざっくり言って埼玉、東京、神奈川の東半分を領域としていたのに現東京都は何でこんなに小さくなってしまったのだろう。コストがやたらにかかる伊豆7島などメリットは感じられないが。
千葉県が安房、上総、下総と3国分も領域になったことに比してバランスが取れない。大きな川を県境にした方がわかりやすい点はある。