ここで、少しお茶の水界隈に戻る。
東京医科歯科大には貝塚遺跡があり、前回述べたように一ツ橋2丁目には複合遺跡がある。
現明大通りより西に古代の道があったとするなら、そのあたりに何らかの痕跡があってもおかしくない。ないのだろうか。
そう思っていたところ次の書籍で明治大西側遺跡なる文言を見つけた(遺跡地図3)。
日本の古代遺跡 32 東京23区 坂詰秀一 昭和62年 保育社
しかし、他に書いている書物は見当たらない。なぜだろう。
そうだ、せっかく御茶水を歩くのだから本家本元、明大博物館に行って聞いてみようと立ち寄ることにした。
昼だったので担当の古代史学芸員を待つことに。
戻ったので早速聞いてみると20年この仕事をしているが「明治大西側遺跡」なるものは聞いたことが無いとのこと。
えー? どういうわけ?
上の本の名を言うと研究室に戻って調べたようで「確かに載っている、編者は信頼のおける人」「しかし聞いたことが無い、パソコンで調べたが出てこない」
結局、そのままで終わった。
植村直己展が開かれていたので初めての明大博物館は無駄にはならなかったが。
<その後>
なんと「一ツ橋二丁目遺跡報告書」中の千代田区内の遺跡一覧に項目として挙げられていた(4頁)。
№13 明大大学院西側遺跡 千代田区駿河台1丁目 縄文時代 集落跡
集落があったとは心強い。
さて、平川門から皇居に入ったが、思った以上に公開範囲は広い、江戸城の主だったところは見て回れる。
桜田門までは直行できないので、いったん大手門から外に出て外苑を通って向かう。