2021-01-01から1年間の記事一覧
北野天神山古墳と菊間天神山古墳があり、紛らわしい。 後者について周りを探したが見当たらない。 その過程でさまよい、地域の雰囲気もつかめたが。 普通の農家らしい農家もあることはあったが多くはない。 豪農、お金持ち、普通の市民の家がポツポツという…
三者は近い。特にbとcは至近距離。なお、文献によれば新皇塚古墳(古墳前期)はほぼ消滅とある。 b北野天神山(権現山)古墳 前方後円墳90m? 古墳中期 c 東関山古墳 前方後円墳90m? 古墳中期 a 姫宮古墳 前方後円墳52m 古墳後期 北野天神山(権現山)古墳 隣…
ドキッとするような名称だ。 紹介する文字情報は多い。 一例 ここにあったとされる石造物が上総国分寺境内にある。 が、新皇塚古墳を明示する写真はほとんど見当たらない。 団地建設で削り取られてしまい、立木以外そもそも遺跡というものが残っていないのだ…
姫宮という乙女チックの名称に惹かれる。 車で行く場合、みどりのは葉記念病院の脇からその名も「菊間通り」に入り数分のところにある市原菊間郵便局のところで曲がって入る。 すでに郵便局の背後に見える森が、暗く、深くなんだかパワースポットというか引…
土木学会論文集D22vol69にある小方武雄氏の次の一説には強く賛同したい。 直接は神奈川県での古代道について中原街道説ではなく246号説を採る論拠として挙げるものであろうが氏も言うように他の地域での比定にあたっても十分に根拠となるものと考える。 更級…
さて、山木交差点から先、どう進むか。 左折し、八幡地区へ進み房州往還道を進むとするのが多数説かもしれない。 ここで道路技術系研究者の発言も頭をよぎる。 一は、武部健一氏(元建設省・道路公団)の「高速道路と古代道路の共通性というものに気づき~」 (…
山木三叉路から入るとすぐ297号道路左側に光善寺の看板が目に入る。 光善寺廃寺と現役光善寺の併存のせいであろう。 国分寺も本来は同じはずだが。 左折して5~60mくらいで左側に階段状の入り口がある。 昭和期再建?の薬師堂 これが更級日記の記述に対比さ…
上記社寺を上総国府位置比定の根拠に掲げる研究者が多い。 津本氏が紹介する鴇田恵吉(ときたえきち)氏の言説は次のよう。 阿須波神社は万葉の歌から国府の庭にあったと考え、上総国府を市原台地と想定し、更級日記の薬師堂は光善寺薬師如来縁起や柳楯神事か…
受領の赴任旅行にあたっては、吉日に吉方に向かって家を出る出門と実際に吉日に旅を始める進発の2段階のステップがあるとのこと。 更級日記では、9月3日に「いまたち」に移り、15日に平安京に進行を始めている。 では、「いまたち」とはどこ? ここでまた…
上総の国府場所については江戸の時代から現代にいたるまで論争があり、大別して4説になるようであるが、いずれにせよ区域内では仕事、生活の必要があり必要に迫られて大小、方向の様々な道が利用されていただろう。 では国を出て京にへ向かうにはどのルート…
展示館の中には大切なことがわかりやすく説明展示されている。 説明スペースが限られているということは新聞記事と同じで冗長に流れやすい書籍にはない長所をもたらしている。 室内撮影可ということも学習に効果的だ。 展示館の窓から復元建物が見渡せる。 …
市原市役所の両脇に国分寺と国分尼寺がある。 国分尼寺は長いこと遺跡状態であったが近年わが国で最高レベルの復元がなされ、注目されている。 市役所と消防署が並んでいる前を通る。(この風景、四国で見たことがある。) 町並みは整然。道路は広い。国分寺…
国庁、国衙、国府域 山路直充氏は国府を考えるにあたって国庁、国衙、国府域に分類する提言をされている。(房総の考古学p165) 国庁は国司が政事を行う政庁を区画した空間 国衙は国庁とその周辺に曹司が展開した空間 国府域は国衙とその周辺に広がった国府…
先日、ひさしぶりに神田の古書店街を歩き、この大著を目にした。 1500円とお安かったので購入。 本来は文学の先生であるが、この日記に関するあらゆる側面に綿密なる考証を加えている研究論文である。 地理的側面のことも詳細で、国府位置や帰路の経路につい…
「はじめに」にある問題意識でもわかるが(*)、それへの手助けになる平易に総合的に書かれている良著と思う。 (*) 研究の深化と拡大は、必然的に日本古代史研究の全体的状況を把握することを困難にし、新たに研究を始めようとする学生のみならず、専門の研…
市原市の中心部は近代的、良質な住宅街となっているが町はずれのこの駅はさびれ,みすぼらしい状態だった。 昭和2年の駅舎らしい。それを魅力ととらえることもできるが。 あたりを見ていると、少し人が集まって来た。 おや、予期しない展開が。 鉄道ファンが…
前書き・総論ばかりじゃひんしゅくを買う。 そろそろ上総の国府から京へ向かって古代東海道の道を歩き始めないと。 しかしここで難問! 上総の国府がどこにあったかが定まらないのだ。 古くから学者先生の間でも見解が分かれていて一向に定まらない。 ざっく…
そういえば、ミレニアムという言葉がはやったのが平成12年、西暦2000年のことだった。 これを記念に県紙千葉日報に連載されたものをもとに発行された県の道路に関する集大成だ。 ヤマトタケルから現代の東京湾アクアライン(1997年開通)とよくまとめてある。 …
古い古い道路跡を探し、見つけるなんて大変なこと。 かなり明確に比定されている史跡が2か所ある場合、その間を直線で結び、そのルート に近い道路があると、これだ!と言いたくなってしまう。 1970年以降、古道はまっすぐということが強調されだしているの…
身分のある男性は騎馬、 下人は徒歩 身分ある女性は手車や手輿 一部の女性は騎馬 と考えられているようだ。 その根拠は?というと石山寺縁起絵巻の絵にあるもよう。 だがしかし、 この絵巻は鎌倉時代末期に描かれた想定画。しかもビグネームの石山寺参詣を描…
⑳「細川家 美と戦いの700年」 「細川家 美と戦いの700年」という特集があった雑誌・芸術新潮は反響がよかったのだろう。再編集、増補されて単行本になっていた(「細川家の700年 永青文庫の至宝」新潮社1700円)。 これを踏まえてもう一度永青文庫…
木下 良氏は日本古代道路辞典序1の(1)「誤解されていた古代道路」で次のように述べる。 1970年代に日本でも古代道路が直線的路線をとって計画的に敷設された大道であったことが指摘されるようになるまでは、日本の古代道路は自然発生の踏み分け道を幾分拡…
⑭ 田中邸 同じ田中でもこちらは総理大臣になった方。本コースで3人目の元総理大臣宅となる。 門が二重であるのは昔と同じ。が、新しくモダンになっていた。前のはタイルかレンガでもっといかめしかった。 本人生存中は、裏へ回ると、ザーッと錦鯉のいる池に…
更級日記千年紀2020 更級日記紀行 神が宿るところ 東海道へのいざない 松戸読売814号 鎌倉街道・下総道下道 市川~松戸 菊間古墳群 猪鼻城跡で検出された古墳群について OPAC 千葉大学 (神奈川における駅路に関する一考察) https://www.jstage.jst.go.jp/a…
そうだ東京へ行こう⑩ 田中光顕(たなかみつあき)の旧居、蕉雨園 写真右側に見える簡素な塀は永青文庫。 左側に見える長い塀はどこのお屋敷か。 塀越しに蔵や使用人用?の木造住宅の軒先を見ながら少し目白通りに向かって戻ると立派な門が目に入る。 そう、…
⑦ 野間清次と「大正大震災大火災」 上品なフラワーショップ右隣のこの邸宅にはかって、野間という表札がかかっていたと記憶する。 奥深く閉ざされた門を見て大出版社の社長宅ともなると違うもんだと感じた覚えがある。 2000年4月以降ここが講談社野間記念館…
吉野秀夫氏は数冊の研究成果を本にまとめて公にしている。 更級日記の「いかたというところにとまりぬ」の「いかた」という地名の場所解明に重きを置き、さらに関連する地名や詳細なルートについて見解を述べている。 驚くほどの情熱、ボーリング調査まで厭…
⑤ 東京カテドラル聖マリア大聖堂 いよいよ核心の目白通りに入る。 目白通りは武蔵野台地の端、関口台地を通る。 高台で見晴らしがよく、江戸時代は多くの大名下屋敷があった。 従って、近畿に比べれば浅いものの、400年の街としての歴史はあることになる。 …
飛鳥、奈良、京都、鎌倉と違って東京は現役の政治の都。ならば現役の政治家のお宅を拝見するのも意味があるのではと、2箇所加えた。その1番目。 言うまでもなく、鳩山家は和夫・一郎・威一郎そして由紀夫・邦夫兄弟と4代続いて政治家をしている。 199…
②護国寺 交通 JR御茶ノ水駅から総武線各駅電車に乗り、二つ目の飯田橋まで行く。 少し歩くけど地下鉄有楽町線に乗り換え、護国寺で降りてすぐ。 選択理由 護国寺は前を通った事はあるけど、中に入るのは初めて。 きっかけは、今年たまたま真言宗豊山派と縁…