古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 武蔵国⑤ 大関横丁(三ノ輪)から谷中へ

隅田川の渡し(白髭橋の少し上流か)で対岸石濱あたりへ渡河するまではわかるとしてその先がはっきりしない。 豊嶋の駅家が谷中とする説を前提として石浜から三ノ輪までのルートのついては前に述べた。大関横丁交差点付近については次のように考えている。 …

寄り道して樋口一葉記念館と旧居へ

大関横丁交差点でどうしたものかと途惑い、とりあえず交差点角にあったMACに入り、一人作戦会議。 地図を見ると一葉記念館が近いではないか。 交差点角は三ノ輪1丁目。その南は竜泉3丁目。 さらいえばその東南に位置するのが千束4丁目、旧吉原だ。 せっか…

古代東海道 武蔵国④ 歴史的農業環境閲覧システムと荒川区南千住から台東区三ノ輪駅近辺へ

前回、明治13年~19年の迅速測図原図に隅田川貨物駅の広大な線路が見えているのは早すぎないかと疑問を述べたが、歴史的農業環境閲覧システムの解説をよく読むと「現在の道路(赤線)、河川(水色線)、鉄道(灰色)」と書いてある。 黒っぽく見えた鉄道の軌跡は灰…

古代東海道 武蔵国③ 荒川区南千住/汐入(その1)

隅田川には渡しが20前後あったという。 下総から続く古代道との接続を考えると渡った箇所は隅田(住田)の渡しであろう。 では隅田の渡しはどこか。 現在の水神大橋と白髭橋の間、隅田川神社の対岸当たりではと推定されている。 そう考えて対岸の地に行って見…

ドライブ・マイ・カーに関する感想その2

西島秀俊主演、濱口竜介監督が村上春樹の短編を映画化した『ドライブ・マイ・カー』が、全米批評家協会賞にて作品賞、主演男優賞など4部門を受賞。 というニュース。 前に感想を述べた後、原作を読んでいるのでそのあたりの感想を。 原作と脚本でどの程度の…

古代東海道 武蔵国② 隅田川のほとりで考える最近のこと

市原市界隈から始めてここ隅田川ほとりについての考えをアップするまでの短い期間であるが、結構考えさせてくれる事柄が生じている。—決して芳しくないものではなく、むしろ逆であるが—。 1はNHK大河ドラマで今日2022年1月9日から始まる「鎌倉殿何とか」関…

迅速測図と活用v2 / 古代東海道 下総国㉟

迅速測図(圖) 1⃣比較的新しく歴史・地理について書かれたものを拝読すると参考文献として迅速測図を挙げる人が多い。 研究者はむろん、郷土史家、はたまた町内会のレポートまで。 例 市川市中国分町自治会には中国分史書編集委員会なるものまであって格調高…

古代東海道 武蔵国① 入国した隅田川先の古代道比定・推定は困難

白髭橋(隅田川)を渡れば武蔵の国 下総の国江戸川から隅田川までは前記のとおりここが古代道だろうと推定される道があるが、隅田川の渡し場(☆A)から豊嶋駅家(☆D)に至る道についてはハッキリ比定する方はいないようだ。 「地図で見る東日本の古代」も東武鐘…

古代東海道 下総国Ⅱ(江戸川から隅田川) ⑧ 荒川から隅田川へ再度の実地踏査

前回の荒川から隅田川にわたる実地踏査はどうも消化不良だった。 荒川ふちのほがらか保育園付近から東武鐘ヶ淵駅への道を歩いていない。 同駅踏切から墨堤通にわたる過程も説明不足。自分の備忘録としても。 墨堤通西側の堤通2丁目は木母寺、隅田神社と歴史…

古代東海道 下総国㉞ 井上駅と本道・支道分岐点

下総国の国府の位置はほぼ解明されているが、最寄りの駅「井上(いかみ)駅」については争いがある。 A説 国府の推定される市川市国府台より1km坂を下った砂州上とする。現市川広小路あたりか。 参考引用地図 地図で見る東日本の古代 P133 市川広小路 B説 国…

古代東海道 下総国㉝ 市川の邸宅街

芦屋、田園調布、南平台以外にも、それこそ日本中どんな地域にも他と違う上質雰囲気の漂う町並みがある。 そういわれるところの特徴は少数数軒だけが際立って豪邸というのではなく町並み全体が落ち着いた上質な雰囲気をもっている点だ。 ポットでのよそ者あ…

古代東海道 下総国(江戸川から隅田川)⑦ 荒川新四つ木橋から隅田川水神大橋へ

想定するルーはこう ここらへんの土地勘は全くない。 長い新四つ木橋を下りると八広小前の交差点。(墨田区八広6丁目) 右折し、鐘ヶ淵通りを東武鉄道に向かって北進するしかない。 四つ木橋だったら途中土手のところで降りられそうだが。次回はそうしよう。 6…

古代東海道 下総国(江戸川から隅田川)⑥ 四つ木、古代道の表示、葛西清重、荒川

上小岩遺跡通りの出発点同様はっきりしているルートの中で最終に近いポイントなので少々詳しく述べたい。 奥戸街道と平和橋通りの交錯するところがわかりにくい。 踏切を渡ってそのまままっすぐ進むと北西の水戸街道方面に行ってしまう。 渡ってすぐ左折し、…

古代東海道 下総国(江戸川から隅田川)⑤v2 東京低地の古代のイメージと流れる川の現況

東京低地湿原イメージ 湿原であった東京低地のイメージとして参考になるものを挙げたい。 上総の国と下総の国の境当たり、現市原市と千葉市の間茂原街道沿いに出水の多い広範な湿地帯がある。 都市圏であり、いつまでも開発から免れ得ないと思うので取り合え…

古代東海道 更級日記の道 下総国(江戸川から隅田川)④ 新中川・中川・荒川へ

三和橋の先に富士山が見えている。 左には葛飾区立の奥戸小学校や体育館が見えている。 このルートで気になっていた一つが奥戸小前にあるという古代東海道を説明する掲示板だ。 ネットでもよく撮影紹介されている。 そばまで行ったが見つからず、校舎を左周…

更級日記の道 下総国(江戸川から隅田川)③ 上小岩遺跡通り出発、新中川まで

対岸江戸川区側に戻って、里見公園脇の道を眺める。 川のそばまで行ってみよう。 コンクリート護岸でないとは思わなかった。 水は思いのほかきれい。東京都、千葉県で水道水に使っているのだから当然かもしれないが。 対岸の風景の広がり、みどり、水量とも…

更級日記の道 下総国2 江戸川から隅田川②ー江戸川(太日川)を渡った地点

将棋ではないがルートを考えるには次の手(地点)、その次の手(地点)と、先、先を考える必要があろう。確かに市川近辺の千葉街道(国道14号)は古代東海道を踏襲していようが、そのまま延長するのはいかがなものか。 市川広小路 正面:市川橋・東京 右国府台・松…

古代東海道/更級日記の道3 下総国2—江戸川から隅田川①—

じめに 現在の千葉県と東京都の境は江戸川であるが、下総国と武蔵の国は隅田川を境としていた。確かに東京都江戸川区から見る対岸は緑の多い小高い丘陵になっており景色はかなり変わり、違う国のようにも思える。 孝標女自身も江戸川を境と誤解していたが無…

県史‣市史のこと ―市川市史ー

市川市史 地域についての総合的体系書ともいえる県史,市史を出している自治体が少なくない。 学術性的性格は高く、しかも愛郷心で裏打ちされているせいか中央の出版社や行政機関ならカットするようなものも極力丁寧に取り上げており一級の資料価値を有する…

古代東海道 下総国㉜ 市川砂州と地表の現状(構築物)

下総の国府、井上駅家、どこで現江戸川を渡ったかについて考え、進む前にそこへの通り道になる市川砂州の現状(地表構築物)を見てみよう。撮影は直近2021年11月。 ちょっとローカルすぎるので遠方の方はつまらないかも。逆に有名作家がいたところなので関心が…

くろとの浜と黒砂くろとの浜公園

更級日記において「くろとの浜」はいろいろな意味で重要なポジションをもつ地名だ。 市原市立図書館主催の講演会で配布されたレジュメには黒砂くろとの浜公園の写真が載っていた。 当ブログ古代東海道更級日記・下総国⓴では少し北側(内陸)、千葉大と敬愛大キ…

文学講座・特別講演会『更級日記」の東国

9月末、キャンベルさんの講演会があったばかりであるが、それから1月ちょっとで今度は図書館主催で講演会があった。9月の講演はコロナの影響でかなり遅れたのでそのせいで近接した模様だ。 しかし何とも贅沢な講演だった。 去年出たばかりの大著の編著者お二…

ドライブ・マイ・カー(カンヌ国際映画祭脚本賞受賞)感想

当方映画を見る習慣・趣味はなく、よほどのことがない限り2~3年に1回だ。 ところが今年,2回も見てしまった。 1回目は3月8日、新エバンゲリアン劇場版。 エンディングに宇多田ヒカルの歌を流しながら関係者のリストを出すが、小生、ほんの少しお手伝いをし…

「まのの長者」伝説→井上靖訳と平安海進、ツバル、地球温暖化のこと

更級日記について、最近は学者先生の訳したものが多いようだけど昔は文学者によるものも多かったようです。 以下は井上靖訳(昭和40年河出書房新社発行の日本文学全集3)。口絵には堀 文子のオリジナル画がついているし、なんと贅沢なことか。 訳はわかりや…

海面の高さと時代区分の長さ

旧石器時代→縄文時代→弥生時代→古墳時代→ 奈良・平安時代→鎌倉時代と続く程度のことは識貧困な当方でも知っているが、それぞれがどのくらいの期間続いているのかは感覚的にはつかみがたい。 昔の入り江の位置、道路の位置は各時代当時の海面高さで大きく変わ…

古代東海道 下総国㉛ 砂州と松の木

孝標の娘は白砂と松林の風景が好きだったようだ。 泊まった黒戸というところ(下総の国、現千葉市のどこか)は片側が広々とした砂丘で砂浜は遠くまで白く続き、そこには松原が茂っているとその情景を愛でつつ描写している。 逆に武蔵の国では「ことにをかしき…

古代東海道 下総の国㉚の2 永井荷風と五木寛之氏

氏のエッセイの続きはこうだ(一部) のちに荷風が人に気づかれずに死んだニュースを聞いたとき、あの風の中に一人立っている老人のうしろ姿を思い出して、なんとなく胸がしめつけられるような哀しい気がしたものである。 私は荷風の愛読者というほどは読んで…

古代東海道 下総国㉙ 鬼高遺跡

船橋市本中山→市川市鬼越→鬼高と続く。 鬼滅の刃じゃないけど「鬼」の字はインパクトがある。 1919年(大正8年) - 耕地整理により鬼越、高石神の各一部より鬼高を新設、東葛飾郡中山村大字鬼高となったそうだ。 確かに京成沿線に鬼越、高石神の町名が見える…

古代東海道 下総の国 ㉘ 船橋から市川へ

この先のルート概観 現市原市の上総国府候補地から出発したが、次の下総国国府候補地(市川市国府台)がようやく手の届く距離になってきた。 船橋市以西から市川に至る全体図は次の地図のとおり。 古代東海道の立地するところは京成沿線の微高地になるが、その…

古代東海道 下総国㉗ 船橋市海神「飛の台遺跡」② 、オトタチバナヒメ伝承と文京区妻恋神社

先週土曜日のブラタモリは渋谷の古代遺跡について特集していた。 いくら地元とはいえ、NHKの「渋谷」への偏愛は過剰ではないかと思われるが、今回はこれまでの「地学」重視から古代「考古学」への関心もうかがえたのでまあ、好感を持って拝視聴した。 タモリ…